「音楽と人」によせて 3

毎回「音楽と人」に載った関ジャニ∞を読むと何かを吐き出したい衝動に駆られる。

音楽に関しては門外漢で知識も無く語る言葉も持っていない。

それでも波立つ気持ちを宥める為に駄文をつらつらと書いてしまう。

 

横山裕「実直」

音楽に関して5人でインタビューを受けている時のヨコさんは概して控えめだ。

勿論問われた事へ誠実に答えるが自ら口火を切ることはあまりない。

臆しているのではなく静かに佇んでいる印象だ。

個人インタビューである今回もその姿勢は保ちつつけれど所々に自信や自負が見えていて、それは文中にある「千本ノック」からくるものであるのだろうと胸が熱くなる。

天才肌であると私は感じているヨコさんが自分自身を「器用な人間じゃない」と定めひたむきに努力し、メンバー、殊に同じギターを弾くヤス君への尊敬と敬愛を隠さないところに彼の真摯さと純粋さを感じて止まない。

そして必ず「ライブがしたい」「関ジャニ∞はライブをしてナンボ」と口にするヨコさんが今号でもそう語り「今年の冬にもやっておけばよかったな」と洩らした一文に口元が綻んだ。

 

丸山隆平「濃淡」

あまり過去に言及せず今目の前にある事を力強く話したヨコさんと異なり、丸ちゃんはあの頃の事を鮮やかに且つ軽やかに振り返る。

音楽面に関して敢えて「残された俺たちは」と表し、そこからいかにして関ジャニ∞の音を構築してきたかを細やかに語る丸ちゃんはどんな表情をしていたのだろうか。

別の道を歩いている彼らがいつか自分達を見てかつてそこにいたことを「誇れるような」姿でありたいと言えるようになるまでどれだけの葛藤があったのだろうか。

また、穏やかで優しく切ない丸ちゃんの言葉の中に「おっ」と一瞬息を呑む箇所があった。

その厳しい言葉はいかようにもとれるが、今の丸ちゃんに潜む揺るがないものなのだと苛烈であった昨年を思うとよりその色が濃く見える。

 

二人に共通していたのは「続ける」ことの意義と意味だ。

それは正しさや確かさを問うものではないし答えが出るものでもないと思う。

探して見上げて振り返ってまた前を見てそうしながら5人が「関ジャニ∞」を続けてくれたらこれほど幸せなことはない。

 

 

 

 

今現在思うこと

以前、大相撲とジャニーズは似ているというブログを書いた。

その時は「育成方法に共通部分が多いのでは」という大相撲ファンである長女との他愛もない会話がきっかけだった。

そして駄文の末尾に「他にもあると思うのでまた書いてみたい」と記していた。

 

あれから二年近くが経った。

共通する素晴らしいところや称賛するところも沢山あるのだけれど、今回書くところは苦く辛い部分だ。

 

ジャニー喜多川氏による性加害問題について7日に記者会見があり、昨日補償及び再発防止策についての文書が発表された。

内容への感想や意見はそれぞれの思い入れ、距離感で異なるのは当然であろうし是であっても否であってもどちらかが100%正しいとは言いきれないと思う。

 

私自身は事務所が故人の性加害を認めた事、それをふまえて被害者への補償の詳細を公表した事を在野のいちファンに過ぎないが彼らを応援するものとして咀嚼し、この件について事務所が被害者の方へ専門家の力を借り無秩序にではなく真摯に対応してくれるようにと願っている。

 

 

この一連の流れを見聞きしてきて感じたのが冒頭で述べた大相撲との共通点だった。

 

ファンの方には蒸し返すようで大変申し訳ないが大相撲も土台を揺るがすような事件が次々と起きた。

その度に苛烈な報道がなされ、「大相撲の闇」「大相撲の危機」等の見出しが紙面や画面に連日並び、テレビ番組でも厳しい言葉があちこちから飛んだ。

ジャニーズも大相撲もそれだけの事を起こしたのだからと言われると俯くしかないのだが、今、ジャニーズに対する物事を見て思い出すのが、当時幼かった長女が「こんなにお相撲は嫌われていたの?」という言葉だ。

 

国技ではあるが、私が子供の頃と比べあくまでも自分の周辺の事ではあるが、大相撲の人気や認知度は低くなっていると思う。他のプロスポーツよりも特に子供の関心はあまり無く相撲を習う子はおろかテレビ中継を見ている子も知る限りではいなかった。

 

そういった状況に慣れていた長女は急な変化に驚き悲しんだのだと思う。

昨日まで相撲の話しなどしたことのなかった級友達の口から聞く大好きな力士への耳をふさぎたくなるような言葉、場所中楽しみにしていたスポーツ新聞に載っている協会への容赦無い批判、そして何よりぎりぎりの所で土俵にあがり続ける力士の心情。

 

少なくとも自分の周囲ではあまり関心をもたれていなかったお相撲が急に話題になったと思ったら、あちこちで噂されている。

悪い事をした人がいたのはわかるがしていない人も悪く言われている。

どんなに頑張っていても「お相撲さん」というだけで。

 

全く同じとは言えないかもしれないが、今ジャニーズに所属しているタレントの置かれている状況に似ていたと思う。

 

その組織に属している以上ある程度のペナルティは当たり前だという意見も多く目にした。

今回起きている多くの契約解除、取引停止もその一部であり企業側からするとそう決断せざるを得ない事も理解できる。

 

しかしその事と在籍するタレント及び事務所社員の方々が今、必要なケアを受け、誹謗中傷にさらされずに活動、仕事ができるようになる事とはまた別の話しであると考えている。

 

このことと被害者への誠実な対応は矛盾するものではなく、むしろ今後同じような被害を出さない為への道筋であるのだと思う。

 

 

稀代の大横綱白鵬が著書にて「いい相撲を見せれば、ファンはそれをわかっていて、熱い声援で力をつけてくれたし、的確に評価もしてくれた。だから力士として軸足は、あくまでも稽古を積んで、これぞ大相撲といういい相撲を取ることに置くべきである」(「相撲よ!」白鵬翔著より引用)と語っている。

 

この言葉を借りるならば、タレントの軸足は様々な媒体を通して「表現する」事に置いた方が良いのではないかと思う。

(キャスターやMCは伝える事が主で表現とは異なるかもしれないが、それでも過剰に他者から自分の内面を追及されるのは本筋ではないと思う)

 

最後になるがもうひとつ共通のところがある。

歴代数名外部の方もいたが基本的に大相撲協会のトップである理事長は元力士である親方が理事選を経て就任する。

今回ジュリー氏の後任として東山さんが現役を退き社長になると知った時、何とも言えぬ感情になった。

善し悪しや是か否でもない「そうか...」という気持ち。

イノッチとお二人共、どうかお体に気をつけて舵を取ってください、と祈るばかりである。

その歌こそが

まだほんの一部分しか聞いていないのに、めちゃくちゃに心揺さぶられたので

気持ちを吐き出している。

 

「アイドル」って何だろう。

手の届かない存在。

偶像。

憧れの人。

それぞれが思い描くその姿は千差万別で正解はきっとない。

 

多くのファンに愛され眩い光の中に立つ彼らは平等に愛を注ぐ。

無論ファンサの有無やある一部の人のみが享受できる企画、公演もあるので一概に公平と言えない部分もある。

けれど極力上下や差がでないよう彼らは尽力していると思う。

なぜならそれが「アイドル」としての務めであり努めだからだ。

 

その「アイドル」を全うしようと色とりどりの衣装を身に纏い、華やかなステージに立ち、鮮やかなパフォーマンスを繰り広げる彼らには感情がないのか?

自分達に熱狂するファンを人形のように見つめているだけなのか?

「アイドル」を続けた者には血がかよわず、そうでなくなった者にだけ血がかよいはじめるのか?

 

私はそうではないと思う。

アイドルだろうとアイドルでなかろうと生身の人間であることに変わりはなく傷つけば血が流れる。

アイドルの魔法をかけている間もずっとその身から血は溢れ出している。

どんなに煌びやかな場所にいて周囲からちやほやされているように見えても受ける痛みは同じだと思うのだ。

 

五人はジャニーズの「アイドル」であることを選んだ。

彼らはその時々で言葉を尽くして理由を語ってくれたけれど、その真意を知ることはきっとないだろう。

それを知る必要はもうないのかもしれない。

 

こうして「関ジャニ∞」であり続けてくれる事が何よりの答えであると「生きてる僕ら」を聞いて痛感したのだから。

7月7日晴れ。

大切な友人にあってきた。

ほぼ三年ぶりだ。

彼女とは職場の先輩後輩として知り合い、もう20年以上の付きあいになる。

 

訳あって彼女が退職したあとも時々連絡を交わし、年に数回会ってはそう、この前の丸ちゃんと大倉君のスペースのようにとりたてて中身のない話をし大笑いして別れる、それが彼女とのスタンスだった。

 

そんな私にとって気のおけない彼女に病がみつかったのは5年程前。

特に深刻な顔を見せずからっとした口調で「この前手術したの」と切り出した。

突然の告白に私はひどく動揺した。

少し前に亡くなった母と同じ病気だったからだ。

黙り込み涙ぐむ私に「そういう顔するから言わなかったんだよ」と朗らかに言って肩をバンバン叩かれた事を今も覚えている。

 

それからも彼女は変わらなかった。

メールで近況を報告しあい、会った時は美味しかった食べ物やお気にいりの俳優の事を夢中になって話し、そして体を揺らして大いに笑っていた。

 

コロナ禍で会えない時期もLINE(メールからLINEになった)の内容に深刻さは見られず、近くの図書館がリニューアルして綺麗になったよとか、姪っ子さんが大きな餃子を作って持ってきてくれたとか他愛のないものばかり。

 

病状についてはごくごく簡単に触れるだけ。

それでも少しずつ進行しているのだろう事はわかった。

 

 

そうして先週久しぶりに彼女から連絡がきた。

返信が遅くなった事を詫びる文章の後に

「もし都合が良ければ7日に会いたい」と。

 

メールやLINEを送るのも、食事に行こうと誘うのもいつも私の方だった。

おおらかで優しい彼女には多くの友人がいて、私はそのうちの1人にすぎないとわかってはいたけれどほんの少し寂しく感じていた。

だから病気の事もすぐに教えてくれなかったし、会っても真面目な話はせず気晴らしにちょうど良いくらいなだろうなとも思っていた。

 

その人が日付を指定して会いたいと言ってきてくれた事に喜びと不安を覚えつつ、

偶然公休日だったので、「行きます」と返信をした。

 

 

そして今日。

数年ぶりに会った彼女は自宅のベッドに横になったまま

「見てよ。ダイエット成功」と言って笑った。

絶対に泣くもんかと奥歯を噛み締めてうんうんと頷いた。声は出せなかった。何か言ったら涙がとまらなくなる。

 

私の様子などおかまいなしに彼女は喋り続けた。

これまで教えてくれなかった治療の辛さ、うとうとした時に襲ってくる不安、等々。

と、同時に今までと変わりない見ているドラマの話や大好物の寒天をほんの少し食べられた嬉しさも目を見開き楽しそうに喋った。

 

一瞬、間が空き

「まだ関ジャニ好きなの?」

と唐突に聞かれた。

「好きだよ」

そう答えると

「コタロー良かったよね。横山君すごく良かった。コタロー見てたらあんたが関ジャニ好きなこと思い出して会いたくなったのよ」

にっこり笑って彼女は言った。

 

 

 

あまり長居をしてはいけないと腰をあげ

「またね。」と言って右手をそっと握ると

彼女は黙って手を握り返した。

もう一度「またくるね」

さっきより強く言ったら

微かに

「うん」

と頷いた。

 

 

 

7月7日晴れ。

大切な人にあってきた。

愛はおなじじゃない

久しぶりのはてなブログ

構成とか配慮とかそういうの無しにしてとにかく今の気持ちを書くべし!と思ったのでしっちゃかめっちゃかな文章になること、読んで不愉快な気持ちになる人がいるかもしれないこと、全然自分の思っているのと違う!と憤りを感じる人がいるだろうと想像しますがその点どうかご容赦ください。

 

昨夜ツイッターのタイムラインに流れてきたすばる君へのとてつもない愛と画面が沸き立つような熱量で綴られた文を読み、陳腐な表現で申し訳ないけれど頭を殴られたような衝撃を受けた。

真摯で美しく読みやすい文体とこの四年間が誠実にまとめられていたその力量に驚嘆したというのも勿論あるけれど、何よりも「今」のすばる君の素晴らしさを読み手に強く感じさせ、心を動かし、実際に読んだ人達をライブ会場へ足を運ばせた情熱に「やられた・・・」と敗北感にも似た、いや、似たではない。敗北したのだ。打ちのめされたのだ。頭を、心を叩き割られたのだ。

 

嫉妬ではない。嫉妬すらできない。足元にも及ばない。完全なる負け。さらに追い打ちをかけたのはその方が「今」の関ジャニ∞も亮ちゃんも応援していたという事実だ。

 

あの日から関ジャニ∞同様、一括りに「ファン」と大きく書いてしまい申し訳ないが、ファンもバラバラになった。

5人だけを追う人。すばる君だけを追う人。亮ちゃんだけを追う人。全員を追う人。すばる君と亮ちゃん2人を追う人。他のグループと掛け持ちで追う人。全てから降りた人。(内君の事は当時自分がまだ関ジャニ∞のファンになっていなかったので書いていません。ごめんなさい)

 

これまでも掛け持ちをしたりグループ全体ではなく自分の好きなメンバーだけを応援していた人は沢山いたと思うが、それでもそのそれぞれを結ぶ糸として関ジャニ∞はいたと思っている。

けれど今その糸は少なくとも私には見えない。

 

5人は「過去をなかったことにしない」「これまでがあってこそ」と度々話しているし、それは18祭を見れば一目瞭然。彼らはその背に肩に腕に抱えきれないくらい全部持って歌って踊って奏でて話していた。

 

けれどすばる君は違う。

当然だ。関ジャニ∞とは異なる道を求めて出て行ったのだから。

関ジャニ∞では歌えない歌を歌う為に。

関ジャニ∞とは見られない夢を見る為に。

関ジャニ∞と一緒には歩けない道を歩く為に。

ヨコさんの涙と村上君の瞳と丸ちゃんの沈黙とヤス君の慟哭と亮ちゃんの空洞と大倉君の炎を振り切って。

 

会見の時大倉君は言った。

「ひとり自分の人生っていうことで、考えてやるっていうときに、僕たちの人生はそのまま続くってわけじゃなく変化するわけで、その上での決断なのかっていう質問をしたときに、『それは申し訳ないけど自分の人生を優先させてもらった』と聞いて、僕らのことを考えての決断ってことなら言うことなかったですね」

 

この言葉を聞いた時にもともとそんな権利、権利っておかしいな、なんだろうしっくりくる言葉が思い浮かばないけれどとにかくすばる君の事を責める権利?資格?そんなものは私には無いのだと痛感した事を覚えているし今も同じ気持ちだ。いや、同じ気持ちのはず。

 

すばる君だけじゃない。みんな自分の人生を優先して然るべきなのだ。

仮にという言い方は卑怯であるとの上で敢えて使うが、仮にすばる君が続けていても亮ちゃんのように5人の誰かが抜けていたかもしれない。解散していたかもしれない。

 

それでも愚かな私は時折、7人だったら糸は繋がったままっだったのではないかと思ってしまう。

 

その思いは今ひたむきに関ジャニ∞を続けている5人にもすばる君にも亮ちゃんにも失礼だと承知しているし、これまで書いたブログでもそれぞれの道を肯定しようと努めていた。実際時が経ち、膿んだ傷にもかさぶたができそれも剝がれ新しい皮膚ができ祝福に満ちた18祭を体感することですっかり精算できた気持ちでいたのだ。

 

でもパンドラの函が開いてしまった。

 

すばる君が一番ですばる君が大好きですばる君を思う気持ちに溢れた文章を読んだ事によって函が開いた。

 

その方はすばる君が関ジャニ∞を辞めた後の辛い期間を「亮ちゃんとエイトに支えてもらった」と、「替えの効かない心の震えるような多幸感をたくさんもらった」と書いていた。(引用失礼致しました)

 

その事が悪いというのでは全くない。むしろ、色々あった中でも関ジャニ∞と亮ちゃんを追い続けある種救われていたのだという事を読み何様目線で母親気取りもいいとこであるがしがない1ファンとして有り難いなと思った。

 

でもそれでもすばる君が一番なんだな。

 

いやいやそんなの当たり前でしょうと言われるのを承知でまた書きます。

 

関ジャニ∞でもなく、亮ちゃんでもなく、すばる君が一番なんだな。

 

そしてそのすばる君への想いがたくさんの人の胸をうったんだな。

 

5人も亮ちゃんもあんなに大変だったのにな。

 

この事が多分、私を打ちのめしたんだと思う。

 

 

 

すばる君が辞めてから1年後に亮ちゃんが辞めた。

それからヨコさんと丸ちゃんとヤス君と大倉君はボイトレを始めてヨコさんはギターも始めた。

村上君はおどけて「課金制アイドル」なんて言うけれど前以上にアイドルに真摯に向き合うようになった。

大倉君は後輩君のプロデュースをするようになった。

 

すばる君が辞めて変わったことがたくさんあった。大変なこともたくさんあった。

 

けれど私は関ジャニ∞が好きなままだった。5人の関ジャニ∞が大好きだ。

 

だから蓋をしていた。

すばる君がいなくなって寂しいなあ、亮ちゃんがいなくなって辛いなあという感情に。

そして「これからの関ジャニ∞をよろしくお願いします」なんて言って辞めたすばる君を責める気持ちに。

 

 

そうした気持ちがあふれてきてどうにもならなくなり愚にもならない駄文をつらつら書いたことを恥ずかしく思うが、もう函の中にはほとんど何もない。

 

 

 

すばる君に(きっと)宛てた長い長いラブレター、圧巻だった。

素晴らしかった。

 

でもその愛は私と同じ愛じゃない。

こんな愛もあるんだと知らされたからこそ胸をうったんだ。

 

今、私の函の中に残っているのは「どこかであなたの歌が誰かの心を震わせていること願っています」という大倉君の切ない餞の言葉だけである。

 

どちらも大事

「大相撲とジャニーズは似ている」

15年余大相撲を愛してやまない長女の持論である。

と言っても、相撲はともかく彼女のジャニーズ事務所についての知識は幼児が波打ち際で遊べるくらいに浅い。

そして母である私自身も関ジャニ∞のファンだが他グループについてはほぼ知識がなく、エイトさんの事ですら古くから見守ってきた方々からすると赤子のようなものだ。

 

そんな親子のぬるーい感想?印象?戯言?と思ってほしいと早速逃げ道を用意しながらつらつら書いていく。

 

長女が最も似ているという点はその育成にある。

今、ジャニーズ事務所に合宿所は無いが(無いですよね?)エイトさん達がジュニア時代にはバリバリの共同生活だったと彼らの古典落語を紐解くとよくその頃の逸話が出てくる。

つい先だって、いやもう一年前か…のテレビ番組「あいつ今何してる?」でも当時の寮母さんが出演され伝説のフレンチトースト事件やジャニーさんと彼らのほのぼのエピソードなどをお話ししていた。

 

相撲部屋もそうだ。

入門した弟子は親方とおかみさんの元で一緒に暮らし稽古に励む。

十両以下は大部屋だが十両以上(関取)になると1人部屋に移れる。個室が足りず師匠の許可が出れば1人暮らしもできるそうだが基本は結婚を機に部屋を出て別に暮らすというのが流れとの事。

 

同じ年頃の少年、青年達が同じ釜の飯を食い切磋琢磨する。

そしてここが肝心だと思うのだがいわゆる月謝というものがない。(無いですよね?)

ジュニアも十両以下の力士もまだプロではない。と、看做されている。

例外もあるが収入もほぼない。

そんなこれからどうなるか全くわからない原石真っ只中の彼らからレッスン料や稽古代は取らない。

さらにジャニーズは選考もふわっとしていて合格したのかしないのかも明確に知らされない為、丸ちゃんは自分が合格していないと思って二度受けている。この話大好き。

 

この点に関して大相撲は義務教育を終了している事、所定の身長や体重の基準を満たしている事等、カッチリ新弟子検査なるものがある為ジャニーズとは異なる。

 

次に似ていると思われるところは長女曰く、その独特な世界だという。

 

大相撲は「国技」である。

「スポーツ」ではない。しかし「興行」の側面も持っている。

ここがややこしいし悩みどころでもあるのだがそこが相撲の魅力でもあるのだと長女は力説する。

 

横綱に求められるのは強さだけではない。強さと同時に品格も求められる。土俵での態度は勿論普段の振る舞いにもそれをかなり強く要求される。

強いだけでは駄目なのだ。

そして横綱に降格は無く、力がなくなったと自らが判断したその時に現役引退、すなわち横綱でいられる強さがなくなれば土俵を去るしかないのだ。

 

「強さ」と「品格」この二つを同じバランスで両立するのは非常に難しいと思う。

格闘技の最高峰とも言える(便宜上こう言うが)競技で闘争心を剥き出しにせず戦うのは困難なのではと感じる。

しかし横綱が闘争心を全面に出したガッツポーズや張り手、かち上げをすると非難される。なぜならその行為は「品格」に抵触するから。

文字通り体一つで相手とぶつかり合う時に「強さ」と「品格」を同時に成し遂げるのは至難の技。

更に「興行」である以上観客も楽しませなければならない。

 

ジャニーズ、というか関ジャニ∞のライブもそうだなと今回のツアーを観て感じた。

彼らには沢山の武器がある。

歌、ダンス、コント、MC、そしてバンド。

近年はバンドに重きがおかれそれが「関ジャニ∞」のスタイルとなっていた。

それが関ジャニ∞の強みでもあるのだと思っていた。

しかし、その「バンドスタイル」を先導していたすばる君と亮ちゃんが去った後、彼らのライブ構成はどうなるのだろう。

一番の強み(であると私が感じていた)バンドを全面に押し出す事は難しくなった。

そうである以上、「アイドル」である部分と「ミュージシャン」である部分をどう両立させ組み立てていくのか。

 

その答えが8BEATツアーで示された。

 

彼らは「アイドル」と「ミュージシャン」を見事に両立させていた。

両立、というか配分が均等であり絶妙だった。

歌もダンスも演奏もどれかに比重が傾く事無くそのどれもが「関ジャニ∞」としてのパフォーマンスとして成立していた。

以前の方が良かったとか悪かったとかそういう事ではなく、内包することが難しい二つの事柄を鮮やかにやってのけた彼らの力量を改めて思い知らされたのだ。

 

人によってはこのバランスの良さを物足りなく感じたかもしれないし、それが五人になってから時折目にする「丸くなった」「優しくなった」「尖ってない」に繋がるのかもしれない。

確かに雰囲気は柔らかくなったがなんというか彼らは「重く」なった。

重心がぐっと下がりちょっとやそっとでは倒れない重さを感じるようになった。

すばる君と亮ちゃんがいた時の危うさや激しさや脆さとは違う別のものを5人はこの2年で掴んだのだろうなと。

 

 

時に閉鎖的と言われる事のある大相撲とジャニーズだが、それは裏を返すと大倉君が話していた「一緒に、未熟な子たちを支えて、育って、巣立っていくところを、感動も含め共有する」に繋がるのではないかと思う。

 

 

まだ長女の中では共通点があるとの事だがそれは彼女の入試が終わったらまたゆっくり聞くことにしよう。

これからも応援させてくださいませ

昨夜のクロニクルを一緒に見ていた夫に「今回の放送についてどう思うか」感想を聞いてみた。

 

夫は伴侶である私の熱いプレゼンを日々浴びているのでエイトさん達に好意的だが

エイターではない。

彼らを「仕事のできるめちゃくちゃに顔のいい集団」と思っていて、それ以上でもそれ以下でもない。

彼らの出演する番組を時間が合えば一緒に見て感想も言ってくれるがライブへ行ったりCDを買ったりファンクラブに入ったりはしない。愛読している日刊スポーツにエイトさんが載っていれば切り抜いて渡してくれたりはする。書店で雑誌を見かけたら「関ジャニ表紙だけど買う?」とメールもしてくれる。でもエイターではない。

 

「お茶の間ファン」のもっとゆるーい感じだ。

 

だからこそ、「一般視聴者」でクロニクルがより獲得したいのかもしれない「男性視聴者」の目線に近い夫に昨夜の放送を含め、最近のクロニクルについてどう思っているのかを聞いてみようと考えた。

 

まず昨日の「一般女性30人に聞く失恋話」についてだが

「つまらないというほどではないが面白いというほどでもない」

という身も蓋もないものだった。

「あと、他人の恋愛話は、人の夢の話と同じくらいどうでもいい」

とも。

勿論あくまでも個人の意見、それもたった一人の中年男性の感想が全てではまったく無いのは当然だし「すげー面白かった!!!」という方も多くいたかもしれない。

 

でも私はこの当たり障りのない素朴で凡庸でぼやっとした感想が意外と的を射ているのではないかと感じた。

 

私自身が感じた嫌悪感や寂寥感までは感じてはいないが「興味がない」という感想は一般視聴者が持つものとしてはなかなか残酷でもあると思う。

 

 

次に連続カスタム企画について聞いてみた。

 

「単純に多すぎる。飽きる」

 

これまた直球だった。

そう。飽きるよね・・・

 

「企画自体は面白いと思うけど、ずっとこれだけだとやってる方も飽きないか?関ジャニはプロだからそういう風にはしないか」

 

コロナ禍で、様々な制約があるのだろうことは想像するに難くない。

ゲストを呼びトークだけではなくゲーム性のあるものを企画する事も骨が折れるだろう。

 

けれどやはりそこを何とか打破してほしいと思うし、エイトさん達にもスタッフの方々にもその力量があると信じている。

 

未来永劫続くと思われた「ジャニ勉」と「関ジャニ通信」が終了し、ここでさらにクロニクルまで・・・となったらダメージは計り知れない。私の。

 

以前の企画に頼りたくない、新しいものを生み出したいという気概は先日拝読したスタッフさんの記事からは感じられた。

だからここは踏ん張ってほしい。

あの時もあの時もあの時もクロニクルは頑張ってくれたのだから。

 

ご意見フォームにそっと感想を送りつつこれからも応援していきたい。

 

午後出勤の夫に「感想を聞かせてくれてありがとです」とお礼を言い私も出勤準備に入ろう。