愛はおなじじゃない
久しぶりのはてなブログ。
構成とか配慮とかそういうの無しにしてとにかく今の気持ちを書くべし!と思ったのでしっちゃかめっちゃかな文章になること、読んで不愉快な気持ちになる人がいるかもしれないこと、全然自分の思っているのと違う!と憤りを感じる人がいるだろうと想像しますがその点どうかご容赦ください。
昨夜ツイッターのタイムラインに流れてきたすばる君へのとてつもない愛と画面が沸き立つような熱量で綴られた文を読み、陳腐な表現で申し訳ないけれど頭を殴られたような衝撃を受けた。
真摯で美しく読みやすい文体とこの四年間が誠実にまとめられていたその力量に驚嘆したというのも勿論あるけれど、何よりも「今」のすばる君の素晴らしさを読み手に強く感じさせ、心を動かし、実際に読んだ人達をライブ会場へ足を運ばせた情熱に「やられた・・・」と敗北感にも似た、いや、似たではない。敗北したのだ。打ちのめされたのだ。頭を、心を叩き割られたのだ。
嫉妬ではない。嫉妬すらできない。足元にも及ばない。完全なる負け。さらに追い打ちをかけたのはその方が「今」の関ジャニ∞も亮ちゃんも応援していたという事実だ。
あの日から関ジャニ∞同様、一括りに「ファン」と大きく書いてしまい申し訳ないが、ファンもバラバラになった。
5人だけを追う人。すばる君だけを追う人。亮ちゃんだけを追う人。全員を追う人。すばる君と亮ちゃん2人を追う人。他のグループと掛け持ちで追う人。全てから降りた人。(内君の事は当時自分がまだ関ジャニ∞のファンになっていなかったので書いていません。ごめんなさい)
これまでも掛け持ちをしたりグループ全体ではなく自分の好きなメンバーだけを応援していた人は沢山いたと思うが、それでもそのそれぞれを結ぶ糸として関ジャニ∞はいたと思っている。
けれど今その糸は少なくとも私には見えない。
5人は「過去をなかったことにしない」「これまでがあってこそ」と度々話しているし、それは18祭を見れば一目瞭然。彼らはその背に肩に腕に抱えきれないくらい全部持って歌って踊って奏でて話していた。
けれどすばる君は違う。
当然だ。関ジャニ∞とは異なる道を求めて出て行ったのだから。
関ジャニ∞では歌えない歌を歌う為に。
関ジャニ∞とは見られない夢を見る為に。
関ジャニ∞と一緒には歩けない道を歩く為に。
ヨコさんの涙と村上君の瞳と丸ちゃんの沈黙とヤス君の慟哭と亮ちゃんの空洞と大倉君の炎を振り切って。
会見の時大倉君は言った。
「ひとり自分の人生っていうことで、考えてやるっていうときに、僕たちの人生はそのまま続くってわけじゃなく変化するわけで、その上での決断なのかっていう質問をしたときに、『それは申し訳ないけど自分の人生を優先させてもらった』と聞いて、僕らのことを考えての決断ってことなら言うことなかったですね」
この言葉を聞いた時にもともとそんな権利、権利っておかしいな、なんだろうしっくりくる言葉が思い浮かばないけれどとにかくすばる君の事を責める権利?資格?そんなものは私には無いのだと痛感した事を覚えているし今も同じ気持ちだ。いや、同じ気持ちのはず。
すばる君だけじゃない。みんな自分の人生を優先して然るべきなのだ。
仮にという言い方は卑怯であるとの上で敢えて使うが、仮にすばる君が続けていても亮ちゃんのように5人の誰かが抜けていたかもしれない。解散していたかもしれない。
それでも愚かな私は時折、7人だったら糸は繋がったままっだったのではないかと思ってしまう。
その思いは今ひたむきに関ジャニ∞を続けている5人にもすばる君にも亮ちゃんにも失礼だと承知しているし、これまで書いたブログでもそれぞれの道を肯定しようと努めていた。実際時が経ち、膿んだ傷にもかさぶたができそれも剝がれ新しい皮膚ができ祝福に満ちた18祭を体感することですっかり精算できた気持ちでいたのだ。
でもパンドラの函が開いてしまった。
すばる君が一番ですばる君が大好きですばる君を思う気持ちに溢れた文章を読んだ事によって函が開いた。
その方はすばる君が関ジャニ∞を辞めた後の辛い期間を「亮ちゃんとエイトに支えてもらった」と、「替えの効かない心の震えるような多幸感をたくさんもらった」と書いていた。(引用失礼致しました)
その事が悪いというのでは全くない。むしろ、色々あった中でも関ジャニ∞と亮ちゃんを追い続けある種救われていたのだという事を読み何様目線で母親気取りもいいとこであるがしがない1ファンとして有り難いなと思った。
でもそれでもすばる君が一番なんだな。
いやいやそんなの当たり前でしょうと言われるのを承知でまた書きます。
関ジャニ∞でもなく、亮ちゃんでもなく、すばる君が一番なんだな。
そしてそのすばる君への想いがたくさんの人の胸をうったんだな。
5人も亮ちゃんもあんなに大変だったのにな。
この事が多分、私を打ちのめしたんだと思う。
すばる君が辞めてから1年後に亮ちゃんが辞めた。
それからヨコさんと丸ちゃんとヤス君と大倉君はボイトレを始めてヨコさんはギターも始めた。
村上君はおどけて「課金制アイドル」なんて言うけれど前以上にアイドルに真摯に向き合うようになった。
大倉君は後輩君のプロデュースをするようになった。
すばる君が辞めて変わったことがたくさんあった。大変なこともたくさんあった。
けれど私は関ジャニ∞が好きなままだった。5人の関ジャニ∞が大好きだ。
だから蓋をしていた。
すばる君がいなくなって寂しいなあ、亮ちゃんがいなくなって辛いなあという感情に。
そして「これからの関ジャニ∞をよろしくお願いします」なんて言って辞めたすばる君を責める気持ちに。
そうした気持ちがあふれてきてどうにもならなくなり愚にもならない駄文をつらつら書いたことを恥ずかしく思うが、もう函の中にはほとんど何もない。
すばる君に(きっと)宛てた長い長いラブレター、圧巻だった。
素晴らしかった。
でもその愛は私と同じ愛じゃない。
こんな愛もあるんだと知らされたからこそ胸をうったんだ。
今、私の函の中に残っているのは「どこかであなたの歌が誰かの心を震わせていること願っています」という大倉君の切ない餞の言葉だけである。