それを何と呼べば良いのか
これは大倉君が昨日まで出演していた舞台「夜への長い旅路」の感想であるとともに、私を育ててくれた家族への手紙でもある。
冒頭から母、メアリーと父ジェイムズは息つく暇もなく会話を続けている。
体重が増えただの土地を買う買わないだのいびきが大きいだの一見他愛もない夫婦のやりとりに見えるが、ジェイムズは妻の機嫌を損なわないよう気を配り、一方のメアリーも自分自身をなだめながら話していて、双方どこか落ち着かない。
メアリーが話の合間に挟む上ずった「ふふっ」という笑い声が彼女の神経がギリギリであることを示している証拠のように聞こえるし、ジェイムズはそんなメアリーを愛しさというよりも憐憫の情で眺めていてそれが夫婦だけではもはや解決できない問題を抱えているのだなと示唆される。
そこへ息子達がやってくる。
長男ジェイミーは片頬に皮肉な笑みを浮かべつつも鷹揚とした雰囲気を醸し出そうと努力している。父親には反発するが母親に対しては心配そうな眼で様子を常に窺う。
次男エドマンドは兄より幾分身長は高いが線が細く始終咳き込む。聡明さと稚拙さのアンバランスが両親の庇護を誘うのだろう。
吝嗇家の父ジェイムズ。
薬物中毒のメアリー。
アルコールに溺れて働かないジェイミー。
この家族の物語は私に見覚えのあるものだった。
私が物心ついた時から母はいつも酒を飲んでいた。
仕事から帰ると夕飯を作る前にまず一杯。勿論一杯では終わらずどんどん量が増えていく。
少しして父が帰宅すると、必ず父に悪態をつき喧嘩になるが最後には父が折れてなだめて泣いている母を寝かしつけにいく。
私と年子の弟は中途半端に作られた夕飯を黙って食べ、息を殺して子供部屋へ戻る。
すると寝たはずの母が私達の部屋へ来てまた泣きながら父の事や父の母の事を罵り
弟にだけ「ごめんね。こんなママで」と謝るのだ。
舞台を観ている間、「もし、ジェイミーが女の子だったら、ママの愛を諦められたのかもしれないな」と思っていた。
父親に無能呼ばわりされ母親からは関心を持たれず弟のエドマンドだけが二人の「お気に入り」である事に目を瞑り生きようとしても最後までそうできなかったジェイミー。
それは男の子だったからかもしれない。
私は早々に母からの愛を諦めた。
というか諦めた振りをしていたらいつしかそれが本当になっていった。
「長男」として「立派に育てなければならない」弟を両親が自分より大事にするのは当然だし、私は結婚するしないに関わらずいつかこの家を出なければならないのだからとそう思っていた。
でも、「長男」であるジェイミーは、メアリーとジェイムズから期待をかけられた時期もあったのだろうしそれを感じる時もあったのだろう。
私にはそういう時はなかった。
人並みに学校へも行かせてくれたし多少躾という名の暴力も受けたがそれはあの頃どこの家でもある事だったからさほど気にならなかった。
ただ、「女の子」であることだけを望まれた。どんなに勉強を頑張っても習い事を懸命にしても「女の子」として生きる事以外は全く期待されなかった。
高校から短大へ行き卒業後は三年位お勤めしたら職場結婚もしくは親のおめがねに合う人とお見合いをして寿退社。子供(できれば男の子)を産んで子育てが落ち着いたらパートをして家計を助ける。
この生き方を否定している訳ではない。
むしろそういう風になりたかった。親の為に。
でもそうしてあげる程、親を愛していなかったのかもしれないなあと苦悩するジェイミーを見てしみじみ感じた。
メアリーとジェイムズの期待通りには全く生きられなかったジェイミーだが、そういう自分を誰よりも嫌悪していたのはジェイミー自身だったのだと、ラストのエドマンドへ発した血を吐くような語りでそう強く思わされた。
両親と弟を愛しているが故の計り知れない苦しみ。
あともう一つ感じたのは、メアリーは家族の愛情の中心であったのだなという事だ。夫と息子2人の重くはあるが熱烈な愛を彼女は最後には受け止めきれず放棄してしまったのだけれど、でもその愛が心地よかった瞬間も確かにあったと思うのだ。
母は、多分、父と弟の愛を独占したかったのだと思う。メアリーのように。
それには同性である娘の私は必要ではなかったのだろう。
母が酒に溺れれば溺れるほど父と弟は母の傍を離れられなくなった。
そうして母は数年前鬼籍に入った。
自分の病名を知らされることなく。
あんなに母が愛した父も弟も最期を看取る事はできなかった。
この物語は確かに悲劇ではあるけれど、何にも代えがたい愛の記録でもあると思う。
大倉君が舞台で流した哀しくも美しい涙を見て、自分も母の為に泣けていたらなと、涙が止まらなかった2021年6月14日であった。