答えはなくてもいい
あの日から2年が経ち、もう一つのあの日からも1年になろうとしている。
彼らを取り巻く景色は目まぐるしいというには大きすぎる程変化した。
ど新規で箱推しの私は、どうしたら良いのだろうとずっと考えてきた。
一つだけはっきりしているのは、「関ジャニ∞」を続けてくれた5人の事も、すばる君の事も、亮ちゃんの事も、嫌いにならなかったし嫌いになれなかったという事だ。
だから、自分の追える限り7人を追ってみようと思った。
関ジャニ∞は、二度目の47都道府県ツアーを決めた。その日程も会場のキャパもとにかくめちゃくちゃで、その無謀さを心配する声やら非難する声やらあるいは応援する声やらが溢れていた。
「今、立ち止まってはだめだ」が5人の総意だったのであろう。
あと、これは私の勝手な思い込みなのだが、ヤス君の念願だったキャンピングカーで旅さながらにあちこちへ行き、各地のファンやスタッフさんとふれあい、美味しいご飯を食べ、大好きなステージに立つことで彼らは彼ら自身を救おうとしたのではなかろうか。
それは、勿論自分の為にが大前提だとしても、いつもファンの為に、周囲の為に走り続けていた彼らの初めてのワガママだったのかもしれないなとも思った。
ツアーを続けながら、レギュラー番組に加えて個人の仕事も充実し、関ジャニ∞のパワーが落ちることはなかった。
その中でも、一番驚いたのは、彼らがグループの活動として「歌」に焦点を定めたことだ。
大倉君が時折こぼしていたように、周囲のイメージとは違い、抜けた二人だけではなく関ジャニ∞は全員が「歌える」グループだ。
歌を苦手と自らが話していたヨコさんも村上君も決して下手ではないし、二人の努力は年々実を結んでいたと思う。丸ちゃんとヤス君はメインもハモりも自由自在の職人だし、大倉君の歌声もとても魅力的だ。
それでも。
それでも。
あの圧倒的なすばる君の声と。
華やかな亮ちゃんの声を。
今までの「関ジャニ∞」の楽曲の大部分を担ってきた二人がいなくなった後、我ながら本当に失礼だしファン失格だと自責の念にかられるのだが、「歌」で勝負しようとするとは想像していなかった。
彼らはバラエティも芝居もMCも何だって出来る。
そのどれもが輝いている。
けれど、私は忘れていたのだ。
彼らが何より「ライブ」を愛していることを。
他の仕事をないがしろにしているというのではない。
どれも全力投球だ。
だけど、ど新規の私にだってわかっていた。
いつだって「関ジャニ∞」の核にあるのは「ライブ」だったのだから。
その彼らが、「歌」を大切にし、より磨きあげようとするのは必然ではないか。
それは、すばる君と亮ちゃんにもいえる。
二人のソロアルバムを聞き、ライブDVDを観た。
そこには、エイト時代の面影もあれば、全くみた事のない部分もあった。
共通していたのは「ライブ」への愛情、渇望が滲み出ていたところだ。
楽曲も、演奏者も違っても、二人の「ライブ」に対する気持ちの強さは画面から感じとれた。
願わくば、その情熱の行き先が5人と同じであって欲しかったと今はまだそんな風に思ってしまうのだけれど。
あの日から、誰に言われた訳でもないのになんとなく関ジャニ∞だけを、すばる君だけを、亮ちゃんだけを応援するか決めなくてはいけないと思っていた。
けれど、それは「決める」事ではなかった。自然に胸の内に生まれてくるものだと最近少しずつ思うようになってきたし、その日が来ても来なくてもどちらでも良いのだと大げさだが、自分を許せるようになってきた。
何より彼らが生きて元気に楽しそうにしていてくれたら、それに勝る喜びはないのだから。