たとえ言葉にしなくても

節目節目で誠実な言葉を送ってくれる関ジャニ∞が好きだ。

 

それと同じくらい何も言わない関ジャニ∞も好きだ。

 

二度目の47ツアードキュメント盤に映る彼らは後者だ。

 

過酷なスケジュールの合間を縫うように行われた47ツアーは、その苛烈な日々を記録していたとは思えないほど穏やかで静かだ。

連続ドラマの台本を本番直前まで読み込んでいたヨコさんも27時間テレビ後に「まだあと特番一本くらいいける」と笑いながら言いつつも身体を痛めていた村上君も時代劇の撮影を昼夜問わず行っていた丸ちゃんも体重を5キロ落とすほど舞台に打ち込んでいたヤス君も自分の仕事に加え後輩グループの演出に力をそそいでいた大倉君も尋常ではない忙しさの中にありながら、表情は安らかだった。

 

勿論、しんどそうな様子も時折カメラの前に見せていたし、ここ二年間の大変さや辛さも語っていた。

「5人」になった事についても度々問われ時に飄々と時に決意を込めて熱く話してくれた。

 

だから冒頭に書いた「何も言わない関ジャニ∞」では全く無いのだが、なぜだか私には彼らが「もうそんなに話すことはないよ」と言っているように見えたのだ。

 

抜群のバラエティ力と熱量のある歌と演奏に惹かれ、過去の映像やら雑誌やらを読み漁り、エイトさん達のエピソードに胸を射抜かれ、ライブへ行き舞台へ行き、勿論本当の彼らの姿を知る事などできないと戒めつつも、もっともっとと彼らの言葉を欲していた。

 

そしてそれはこの二年、自分の中で更に加速してしまった。

 

関ジャニ∞もすばる君も亮ちゃんもその時その時伝えられる精一杯の事を伝えてくれていたのにも関わらずだ。

 

そうした気持ちがこのドキュメント盤を見ているうちに薄くなってきたのは、先に挙げた「もう話すことはないよ」という空気を画面越しに感じたからなのだと思う。

 

丸ちゃんにふうっと息を吹きかけられてきゃっきゃするヨコさんやたまりにたまった皆の練習着をせっせと断捨離する村上君や楽器屋さんでゆっくりと幸福そうにベースを弾く丸ちゃんや音響さんと真剣な眼差しで確認作業をするヤス君や天守閣から海を見て歓声をあげる大倉君、そのひとつひとつの仕草が言葉と同じ位の真摯さでもって語りかけてきてくれたのだ。

 

「もう大丈夫だよ」と。

 

そう言いつつも、また私は彼らの言葉を欲し探してしまうとは思う。

 

そしてその度に優しくて強くて大きな彼らに背をぽんと押してもらうのだ。