うつくしい女達 ~窮鼠はチーズの夢を見る感想①~
優しくマメで器量が良く仕事も出来、でも残酷な部分も覗かせる魅力的な彼の目を自分に向けさせたい、と奮闘する男女の様が画面を覆っていた二時間余。
だからその「愛」の駆け引きの中心に恭一はいなければならないしいるべきだと思いながら観ていたのだが、一向にその気配が感じられない。
顕著なのは妻、知佳子。交際時や新婚当初はまた違っていたのかもしれないが、現在は浮気相手と一緒になるべく離婚時に少しでも慰謝料を引き出したいと思い、恭一にも不貞が無いかどうかを調べる為、興信所に彼の素行を依頼する。
表向きは部屋を整え家事も完璧にこなし夫の留守を預かる妻を演じつつ、心中にあるのは恭一への嫌悪と罪悪感と憐憫だ。
彼女にとって恭一は既に自らが幸せになるため利用後すぐ捨ててしまう駒の一つにすぎないと言ったら言い過ぎか。
知佳子の中には今付き合っている相手と自分の世界しかない。そこへ恭一が入り込む隙間は無い。
けれど最初からそうだったのではなく、彼女にも恭一と二人で築いていきたい、育みたい何かがあったのだと思う。
それは「家庭」や「子供」や「夫婦」の名でいっぺんに括られるものではなくもっと曖昧なものだったのかもしれない。
けれど、時間を重ねる事でその曖昧なものを「愛」と呼ぶものに近づけようとしていた時期もあったのではなかろうか。
だが、恭一にその気がない事が一緒に暮らしている内に嫌でもわかったのだろう。そしてそんな恭一を変えようとするだけの愛情がもう自分にも無いという事も。
恭一は、知佳子が浮気をしているなんて微塵も思っていなかった。自分の浮気が発覚し「大切にしたい」と思っていた知佳子との関係が破綻するのを怖れていた。
知佳子からすると笑止千万だろう。
「恭ちゃんは非の打ちどころのない旦那様なんだね」と知佳子は言ったが、別の女の影を見逃すほど知佳子は無邪気ではなかったと思う。2年付き合ってからの結婚であったのだし今ヶ瀬のいう「可愛らしくて、でもしたたかで、いかにも女の子らしいコ」であれば尚更だ。
他の女の香りと気配を漂わせて帰ってくる恭一が、自分を「大切にしたい」と思っているなんて信じられるはずもなく、一年以上も浮気をしているのに全く見抜けないのは自分に関心が無いことに他ならない。
ただ、どこかで待ってもいたのだろう。
自分の浮気が恭一の目にさらされる日を。
そして彼が自分に執着してくれる日を。
けれど彼は一度も知佳子と向き合う事はなく知佳子もそんな日々に倦み自らの手で結婚生活を終わりにした。
傍から見ると離婚の原因とも言える瑠璃子との情事でも恭一は常に受け身だ。
「彼女がそれでいいって言ったんだ」
「結婚しててもいいって」
「そういう関係なんだよ」
妻帯者である男の見本ともいえる言い訳を口にする彼の口調は少々の焦りはあるものの、どこか幼く甘い。
テストの点が悪かった事を「頑張ったつもりだけどヤマが外れたんだ」と親に弁解する中学生みたいだ。
瑠璃子と別れる事や知佳子に浮気が知られてしまう事以上に、目の前の今ヶ瀬に「駄目な男だ」という烙印を押されるのを怖れているように見える恭一は瑠璃子との関係も踏み込まない。
「私のせい?」
と離婚理由を彼女に問われ
「違うよ」
と言ってのけるのは強がりでもなんでもなく本当に「違う」のだろう。
知佳子同様瑠璃子に対しても正面から向き合う術を持たず、向き合う必要性すら感じていない恭一の本心がここにある。
表立って唯一今ヶ瀬とやりあった夏生への情を、恭一が最も持っていなかった事も観ていて切なくなった。
三人で話しあう、いや今ヶ瀬と夏生の二人が陣取り合戦を繰り広げるタイ料理屋でのやり取りは勿論、個人的に印象的だったのが泥酔した恭一を夏生が彼の家まで送り届けると玄関から今ヶ瀬が驚くでもなく静かに出てくるシーンだ。
夏生は明らかに恭一の部屋へ入るつもりだった。
そして彼と再び関係を持つ気満々だった。
そこへさっき
「あの頃さぁ、今ヶ瀬って恭一のこと好きだったんじゃない?」
と揶揄するように噂話をしていた男が親密な様子で扉から出てきて、これからヨリを戻そうとした元カレを抱きかかえているのだ。
しかも当の元カレは嫉妬混じりの声で相手にぐずぐず文句を言っているのだ。
プライドが傷つくとかそういう問題以前に恐怖すら感じる場面だと思う。
こんなにも「自分が眼中にない」を示される経験はなかなかない。
ホテルで欲情されなかった事よりも夏生の心に刺さったのではと何度見ても震える。
たまきに関しては三人の女性と少し違う感触を持っている。
知佳子も瑠璃子も夏生もそれぞれ打算的な面があり、恭一とお互いさまであるように描かれているが、一番打算的だったのはたまきだったのではないかと思うのだ。
打算的というか共犯者。
たまきは恭一が今ヶ瀬の影を追っている事を重々承知していた。
知佳子も瑠璃子も夏生も自分が恭一の中にいない事に疲れ去っていったが、たまきは端々に感じながらもそれごと引き受けようとしていた。
何故か。
「私はお母さんとは違う」
「この人に忘れられない人がいようと結婚しているのは私」
という事実が欲しかったのではないかと思うのだ。
両親に愛されなかった訳ではないだろう。
両親を憎んでいた訳でもないだろう。
それでも彼女はいわゆる「正式な婚姻」を望んでいたのだと思う。
その証を与えてくれるのならば、目の前の男の愛情が100%自分になくともかまわない。
だから彼女は食い下がった。
「このままそばにいちゃ駄目ですか」と。
全編、いわゆる「したたか」に描かれていた女達が私はいじらしくてならなかった。
今ヶ瀬の存在が、恭一の心に刻まれていく様をまざまざと見せつけられる度に、その思いは強くなった。
彼ら同様彼女達も美しい映画だったとため息がでる。